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アルブレヒト・デューラー 二つの『野うさぎ』

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ドイツのルネサンス期を代表するイケメン画家、アルブレヒト・デューラー。

彼が残した謎多き絵画『野うさぎ』には二つのバージョンが存在します(下図)。左がデューラーのオリジナル、右はハンス・ホフマン(16世紀の画家 Hans Hoffmann、20世紀の抽象画家 Hans Hofmannではない)による模写。これまで、それぞれ異なる場所で保存されていましたが、その二つが時を同じくしてウィーンブレーメンで展示されるとのこと。

ホフマンの模写は1億4000万円ほどで売りに出されるそうです。2008年に58万€で手に入れたこの模写を、2014年の現在100万€で売却しようというのは無謀な気もしますが、どうなることでしょう。近年、美術市場の景気は決して悪いとはいえません。日本にはデューラーの作品が極めて少ないように思いますが、ホフマンの模写でも構わないという方、いかがですか?

以下、The Art Newspaperの記事をざっくりと訳しています。

 

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           Dürer’s Hare, 1502                                      Hoffmann’s copy, from 1582
 
©The Art Newspaper
 

 

Splitting hares: a Dürer double bill
Two versions of leporine painting go on show in Vienna and Bremen
By Martin Bailey. Web only
Published online: 13 March 2014
割れる『野うさぎ』:二つのバージョン
二つのよく似たバージョンがウィーンとブレーメンで展示
 
 
Two versions of Dürer’s Hare are emerging, quite by chance, at the same moment—although only one is the real thing. For over four centuries, two watercolours have shared the limelight, each regarded as an original by Dürer at different times.
The version now accepted as authentic, which is rarely shown for conservation reasons, goes on display at the Albertina in Vienna on 14 March. It will be in an exhibition on the history of the gallery (until 29 June). Another watercolour, now regarded as a later copy by Hans Hoffmann, is being offered for sale by the Bremen-based Neuse Galerie for around €1m. 
 
二つのバージョンのデューラーの『野うさぎ』が、偶然にも時を同じくして話題となっています。ー オリジナルは一つだけですが。4世紀もの時を超えて、この二つの水彩画は共に脚光を浴び、どちらも真作と見なされていました。現在、本物として認定されたバージョンは、保存上の理由から滅多に公開されることはありませんが、3月14日よりウィーンのアルベルティーナ美術館で展示される予定です(6月29日まで)。もうひとつの水彩画は、ハンス・ホフマンによる模写だとされており、ブレーメンのニュース・ギャラリーが約100万€で売りに出しています。
 
 

Right from the start, Dürer’s Hare, 1502, was the stuff of legend. One source claimed that the artist had saved the animal during a flood, another that he had modelled his drawing on a cat. A more likely story relates to Dürer’s meeting with Giovanni Bellini in Venice, when the Italian master asked to see the special brush he had used to paint the fine detail of the animal. Dürer offered Bellini several quite ordinary brushes asking him to take his pick; it was Dürer’s skill, not equipment, which accounted for his success. 

 
そもそもデューラーの『野うさぎ』は伝説上の作品でした。その伝説というのは、ひとつにはデューラーが洪水の際に動物を救ったという話。もうひとつは、彼は猫をモデルに『野うさぎ』を描いたのではないかというもの。最も有力な説としては、ヴェニスでのジョヴァンニ・ベッリーニと交流が挙げられます。デューラーが使用しているという動物の細部を仕上げるための特別な絵筆を見せてほしいとベッリーニが頼んだところ、デューラーはベッリーニにごく普通の絵筆を渡しました。デューラーが画家として成功したのは絵筆が特別だったからではなく、彼の技術が素晴らしかったからだという話。
 
 

After Dürer’s death, his original watercolour passed to a Nüremberg family before being acquired by Holy Roman Emperor Rudolf II in 1588. It remained in the imperial collection and is now at the Albertina.

 
デューラーの死後、彼のオリジナルの水彩画は、1588年に神聖ローマ皇帝ルドルフ二世に買い取られる前に、ニュルンベルクの家族の手に渡りました。絵はそのまま皇室コレクションとして残り、現在はアルベルティーナ美術館が所蔵しています。
 
 

Hoffmann’s copy, dating from 1582, was once regarded as an original by Dürer. The watercolour was only downgraded and firmly reattributed to Hoffmann in 1876. It was eventually donated to the Bremen Kunsthalle, and in 1945, it was plundered after Soviet forces entered Germany. In the mid-1990s, Hoffmann’s copy turned up with a Belgian businessman, who had received it from a Russian trader. It was then put up for auction at Lempertz in Cologne in 1999, which led to a restitution claim from the Kunsthalle. 

 
1582年に描かれたホフマンによる模写は、かつて一度、デューラーによるオリジナルだとされていたことがあります。その後、格下げされ、1876年には確固としてホフマンによる模写だとされました。この『野うさぎ』は、やがて、ブレーメン美術館に寄贈されましたが、1945年にソビエトがドイツに侵攻した後に略奪されてしまいます。1990年代半ば、ロシア人の業者からベルギー人の実業家の手に渡りました。その後、1999年にケルンのLempertzで競売にかけられ、それがきっかけとなりブレーメン市立美術館からの返還請求に繋がりました。
 
 

A deal was struck, and the Kunsthalle’s claim was dropped in return for half the auction proceeds. Hoffmann’s Hare sold in 2008 for €580,000, going to Galerie Neuse in Bremen. Galerie Neuse has just offered it for sale, in a full-page advertisement in the February issue of The Burlington Magazine. 

 
オークション落札価格の半分を美術館に支払うという形で要求は退けられ、幕を閉じました。2008年には58万€でニュース・ギャラリーに売却されています。そのニュース・ギャラリーが今度はバーリントン・マガジンに全面広告を使って、ホフマンの『野うさぎ』を売りに出しています。

オルセー美術館『ヴァン・ゴッホ / アルトー』展 〜2014年7月6日

3月10日月曜日、知人のご好意を受け、オルセー美術館で開かれたヴェルニサージュに行ってきました。フランスでは毎週どこかしらの美術館やギャラリーで開かれているヴェルニサージュ。言うなれば、オープニング・レセプション。一般公開の前に行われる映画の試写会のようなものです。美術館でのヴェルニサージュに参加するには招待状が必要な場合が多く、主に美術関係者、ジャーナリスト、メセナ(後援者)あるいは職員の家族等が招待されます。ギャラリーでのヴェルニサージュの場合は、よほど敷居の高いギャラリーでもない限り、基本的には誰でも参加することが出来るというのが一般的です。場所がどこであれ、ヴェルニサージュで行われるのは「展覧会のお披露目」と「カクテル・パーティー」です。
 
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Vernissage

ヴェルニサージュやオープニング・レセプションのようにカタカナで表記される外来語を目にする度に、何かより良い日本語は無いものかと一旦足を止め、我々日本人はもっと外来語を日本語に落とし込むべきではなかったかなどと考えてみたりするのですが、さて何と言いましょうか。遊女が店に出て初めて客を取ることを「初見世」と言いますが、ヴェルニサージュにおいても同様、展覧会が初めて客の目に触れるので「初見世」なんて呼ぶのはいかがでしょうか。
 
そんなことはさて置き、3月11日よりオルセー美術館にて「ヴァン・ゴッホ / アルトー(Van Gogh / Artaud)」という展覧会が始まりました。ヴァン・ゴッホは言わずと知れた19世紀を代表する画家ですが、アルトーとは誰か、一体どのような人物だったのでしょうか。
 

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"Van Gogh / Artaud, Le suicidé de la société" au Musée d'Orsay à Paris©
 

Antonin Artaud

アントナン・アルトー(1896年9月4日 - 1948年3月4日)は、ギリシャ系フランス人の俳優ですが、詩人・小説家・演劇家としても活躍しました。1920年代に俳優としての活動を始め、主に舞台の仕事をする傍ら詩作を試み、シュルレアリスム運動に加わりました。20年代後半は多くのサイレント映画に出演しています。1936年より9年間精神病院に収監されますが、評伝『ヴァン・ゴッホ』でサント・ブーブ賞を受章します。彼の芸術に対する功績、特に前衛演劇に与えた強大なインパクトは、ドゥルーズやデリダの思想に影響を与え、現代の芸術を語る上で欠かせない存在とされています。
 

『ヴァン・ゴッホ』

今週始まった展覧会「ヴァン・ゴッホ / アルトー」は、アルトーが残した評伝『ヴァン・ゴッホ』を元に構成されています。
1947年、ゴッホの回顧展が始まる数日前、パリにあるギャラリー・オーナーのピエール・ロエブ(Pierre Loeb)は、精神病院から退院したばかりのアルトーに「ゴッホに関するエッセイ」を書くよう提案しました。こうして生まれたのが評伝『ヴァン・ゴッホ』です。
アルトーは本の中で「ゴッホは狂人だった」という俗説に対立し、「彼は狂人ではなかった」と断言します。そして、いかにしてゴッホの並外れた明晰さが彼の正気を邪魔したのかを提示しようとしました。ゴッホの絵画に垣間見える一種の暴力性を通して見えてくる、彼を自殺へと追い込んだ「真実」とは何だったのか。ゴッホが狂人だったのではなく、社会が彼を狂人と見なしたのだと彼は主張します。
すべての狂人のなかには、理解されざる天才がいて、かつて彼の頭のなかで輝いていたこの天才の観念が人びとをおそれさせたわけだが、この天才は、人生があらかじめ彼に課した八方ふさがりの状態から抜け出す道を、錯乱のなかにしか見出しえなかったのだ。
 
しかし、考えてみればアルトーも9年もの長い間精神病院にいたわけで、この評伝は狂人による狂人へのオマージュとも言えます。

 

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『ヴァン・ゴッホ / アルトー』展

展覧会はゴッホの油彩画が40点と数点のデッサンや手紙、そしてアルトーによるデッサンと映像で構成されています。オルセー美術館の所蔵品だけでなく、アムステルダム美術館やワシントン美術館、MET、個人蔵等々、多くの借り入れで成り立っており、アルトーの言ってることが全然理解出来なくても見応えは十分。中でも、ゴッホの「自画像」が集められた展示室は圧巻です。
 
会期は2014年7月6日までとなっているので、春休みやゴールデンウィークを利用してパリに来られる方にはお勧めです。
寓話の挿絵や風刺画を描かせたら右に出るものはいないと言われるギュスターヴ・ドレの展覧会も同じくオルセー美術館で5月11日で開催されています。お見逃しなく。
 

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間違って捨てられた現代アート作品

「芸術作品」と「そうでないもの」の違いとは一体何でしょうかね。とりわけ「現代アート」に関しては、非常にやっかいな問題であります。多くの人の心をつかむ作品もあれば、「入場料返せ!」と叫びたくなるような展覧会もあります。「一体これの何が芸術か」と問いたくなることも多々あるでしょう。

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贋作疑惑!ジョルジオ・デ・キリコ「不安にさせるミューズ(1951)」inサザビーズ・ロンドン

 サザビーズで競売にかけられたジョルジオ・デ・キリコの絵画「不安を与えるミューズたち(1951)」(または「不安がらせるミューズたち」)に贋作疑惑がかけられてるそうです。作品の真贋性を確認する際に最も信頼されるカタログ・レゾネ(類型別全作品目録)にも掲載されている作品だけに、物議を醸しています。 

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ジョルジオ・デ・キリコは20世紀イタリアを代表する芸術家の一人。1910年、22歳のデ・キリコは、フィレンツェにて最初の形而上絵画シリーズを制作し、後のシュルレアリスムにも大きな影響を与えました。形而上絵画の制作は1920年まで続き、その後は「パステル調」の時代を経て、「ルネッサンス、バロック期の模倣」へと作風を変化させます。1940年代以降、デ・キリコは1910年代に制作した形而上絵画のレプリカを多く制作し始めます。それらのレプリカには、実際の制作年とは異なる過去の年号を記入していました。彼が何故そのような偽りの年号を記載したのか、はっきりとしたことは分かっておらず、いろいろなことが推測されていますが、一般的に言われているのは次の通りです。  

 デ・キリコの作品は1910年代の形而上絵画が最も認知・評価されており、それ以降の「パステル調」絵画や「ルネッサンス風」の作品は形而上絵画ほど高く評価されていませんでした。美術市場においても同様、極めて作品数が少ない彼の形而上絵画は、それ以降の作品の価格よりも数倍から数十倍の高値で取引されました。しかし、デ・キリコは、画家としての自分は年を経るにつれて成長し、評価も価格も高くなると信じていました。過去の自身の作品に対する高い評価を越えることが出来なかったデ・キリコは「そんなに初期の作品が欲しけりゃ、くれてやる」と言わんばかりに、1910年代の年号をサインしたフェイクを自ら作り出したのではないかと。[詳しくは外部サイト(英語)]

 さて、渦中の「不安を与えるミューズたち」のオリジナルは元々、第一次世界大戦中(1916年から1918年頃)にイタリアのエミリア=ロマーニャ州、フェラーラという町で従軍していたデ・キリコによって描かれました。それから約20年後、1945年から1962年にかけて、この絵画も例に漏れず、キリコ本人によって多くの複製が作られます。その数、少なくとも18作品。今回、問題となっている贋作疑惑のあるバージョンは1951年の作品とのことです。

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Giorgio de Chirico "The Disquieting Muses", 1945-62, Carlo Ragghianti’s, Critica d’Arte, 1979, ref. juliaritson.com 
 

 絵画の中心には、古典的な服装をした二人のミューズ(女神)。向かって左手の女神は起立した状態、右手の女神は青い箱に座っています。周囲にはいくつかのオブジェがあり、赤い仮面はギリシア神話に登場する悲劇を司る女神・メルポメネー、あるいは喜劇を司る女神・タレイアであることを暗示しています。背後の彫像は、ミューズを導くアポロンだとされています。背景にはデ・キリコが滞在していたフェラーラにあるサン・ミッシェル城が右手にあり、左奥には褐色の煙突を備えた工場のような建物が見えます。

 以下、今回の贋作事件を報じたTHE ART NEWSPAPERの記事をざっくりと訳しています。

 

De Chirico catalogue under scrutiny Reliability of publication questioned as collector refuses to pay for painting claimed to be a fake

By Cristina Ruiz. Art Market, Issue 254, February 2014 Published online: 05 February 2014

デ・キリコのカタログ・レゾネ、調査中 贋作とされた絵画への支払いを拒否、出版物の信頼性が問われる

クリスティーナ・ルイズ、美術市場、254号、2014年2月 オンライン発表:2014年2月5日

 

A German collector is refusing to pay for a painting by Giorgio de Chirico bought at Sotheby’s in London for £398,500 amid suggestions that the work may be fake. The dispute over the work, which is included in the artist’s catalogue raisonné, raises serious questions about the artist’s market and the reliability of the publication, which is normally regarded as the ultimate authority on issues of authenticity. The disputed canvas, Le Muse Inquietanti, 1951, bears the signature of the artist and an inscription in Italian on its reverse, purportedly by De Chirico, which authenticates the painting. It was consigned to Sotheby’s by an Italian private collector and sold at the 20th-century Italian art auction on 17 October last year. After the sale, the collector who bought the work discovered that it is one of 117 paintings included in De Chirico’s catalogue raisonné that were identified by the late Italian forger Renato Peretti in 1978 as fakes or likely fakes that he had painted himself.

 ドイツ人のコレクターがサザビーズで£398,500(約6800万円)で購入したジョルジオ・デ・キリコの作品が偽物かもしれないとのことで、支払いを拒否している。カタログ・レゾネにも掲載されているこの作品を巡る論争は、美術市場における真贋に関して一般的に最も権威があるとされている出版物への信頼を揺るがしかねない。渦中の作品「不安にさせるミューズ(1951)」には、画家のサインがあり、裏面にはキリコのものとされるイタリア語で書かれた証明もある。作品はイタリア人のコレクターによってサザビーズに委託され、昨年10月17日のイタリア絵画のオークションで競り落とされた。オークション終了後、作品を購入したコレクターは、競り落とした作品に贋作疑惑があることを発見した。1978年、カタログ・レゾネに掲載されている117点が、イタリア人贋作師のレナート・ペレッティによって描かれた贋作もしくは贋作疑惑のあるものとして認定されたが、この作品もそのひとつだったのだ。

 

A fantasist forger?

Sotheby’s says it “would not discuss confidential client matters” but adds that the auction house “takes matters of authenticity very seriously and, before accepting works [by De Chirico] for sale, checks the De Chirico catalogue raisonné and also consults the De Chirico Foundation as appropriate”. The German collector declined to comment.

ほら吹き贋作師?

 サザビーズは「顧客の機密事項は論議しない」としたが、「真作かどうかに関して、(オークション・ハウスは)非常に慎重に扱う。キリコの場合、作品を引き受ける前に、カタログ・レゾネを参照し、ジョルジオ・デ・キリコ財団に適切な助言を求める。」と付け加えた。ドイツ人コレクターはコメントを控えた。

 

Paolo Picozza, the president of the De Chirico Foundation, says that the painting sold at Sotheby’s is authentic (see above) and describes Peretti as a “mythomaniac” who claimed to have painted works that were in fact original canvases by De Chirico. Nevertheless, Picozza acknowledges that “there may be forgeries by Peretti and others in the catalogue raisonné”. He says, however, that “these need to be examined case by case and not [considered fake] just because Peretti said they were”. He also says that, as a general rule, the foundation does not provide opinions on the authenticity of paintings that are published in De Chirico’s catalogue raisonné, and that there are currently no plans to examine further the works in the catalogue that Peretti claimed to have made himself.

 ジョルジオ・デ・キリコ財団の会長、パオロ・ピコッツァはサザビーズで販売された渦中の作品は本物であるとし、キリコが描いた作品を自分が描いたなどという贋作師ペレッティは「大ほら吹き」だと言う。それにもかかわらず、ピコッツァは「カタログ・レゾネの中にペレッティ等による贋作があるかもしれない」ことを認めている。しかしながら、彼は「ペレッティが自身で描いたと言ったというだけの理由で、贋作と判断するわけにはいかない。個々の場合に応じて検討する必要がある」と述べた。 彼はまた、原則として、ジョルジオ・デ・キリコ財団はキリコのカタログレゾネに掲載されている絵画の信憑性に関する見解は発表しないこと、そして、ペレッティが自らが制作したと主張するカタログ・レゾネにある作品をさらに検討する予定はないことを伝えた。

 

Any such investigation would be lengthy and expensive, and it is unclear how the foundation could fund this research; the organisation is currently working on a further four volumes of the artist’s catalogue raisonné (to add to the eight volumes that have already been published). The first of these should be completed this year.

 真贋に関わるいかなる調査も時間と費用がかかるだろう。それにジョルジオ・デ・キリコ財団が調査に資金を提供できるかは不明である。財団は現在(すでに刊行されている8巻のカタログ・レゾネに追加するために、)4巻の編纂に取り組んでいる。 これらの最初の1巻は年内に完了するという。

 

Fakes still in circulation

This may do little to reassure dealers and auctioneers who rely on the catalogue raisonné when trading in works by De Chirico. A senior figure in the Italian trade who asked not to be named says: “If we can’t rely on the catalogue raisonné, how are we supposed to buy or sell works by De Chirico?”

贋作は未だに流通している

 こういったことは、キリコの作品の売買を行う際、カタログ・レゾネを当てにしているディーラーや競売人を不安にさせるかもしれない。名前は明かせないがイタリア絵画市場の重鎮は言う。「カタログ・レゾネが当てにならないのなら、一体どうやってキリコの作品を売買すればよいというのか?」

 

The dispute over the painting that sold at Sotheby’s was first reported on the website of the Archive of Metaphysical Art, an independent organisation run by specialists in Milan. It estimates that Peretti forged around 1,000 paintings by De Chirico and other Italian artists, including Giorgio Morandi, De Pisis and Carrà, between 1954 and 1976. According to the archive’s website, several paintings by De Chirico, which Peretti said were his fakes, are “still in circulation today” and are regularly sold by auction houses as authentic works. In recent years, paintings by De Chirico that were identified by Peretti as his own work have been sold at Sotheby’s in London and Milan and at Dorotheum in Vienna, and have been offered at Christie’s in London. All three auction houses declined to say whether they consult Peretti’s 1978 list of fakes in the catalogue raisonné when accepting works by De Chirico for their auctions; all three said they had relied on the catalogue raisonné to authenticate the paintings in question.

 このキリコの作品を巡る論争が初めに報告されたのは、the Archive of Metaphysical Artというミラン在住の専門家によって運営されているウェブサイトだった。ペレッティによって1954年から1976年の間に制作された贋作は推定1000点以上、キリコだけでなく、ジョルジョ・モランディ, フィリッポ・デ・ピシス、カルロ・カッラといった他のイタリア人画家を含む。the Archive of Metaphysical Artによると、ペレッティが暴露したキリコの贋作は現在も流通しており、定期的にオークション・ハウスで証明書を付して競りに掛けられているという。  近年、ペレッティの贋作とされたキリコの作品は、サザビーズ・ロンドン、ミランやウィーンのドロテウムで落札され、クリスティーズ・ロンドンで売りに出された。これら全てのオークション・ハウスは、キリコの作品を受け付けた際に、1978年のペレッティの贋作リストを参照したかどうかに関してコメントを控えたが、皆一同に当該作品が本物であると証明するためにカタログ・レゾネを参照した。 (略)

 

The most skilled forger of De Chirico

In 1954, Renato Peretti visited De Chirico in Venice and watched the veteran artist paint a version of Le Muse Inquietanti from a photograph of a previous canvas of the theme, according to the Archive of Metaphysical Art. Peretti presented himself to De Chirico as a “simple admirer” of his work, but the visit seems to have inspired Peretti, who “discovered his own vocation” as a result. Over the next two decades, he would go on to produce numerous forgeries of De Chirico’s work.

最も腕のあるキリコの贋作師

 the Archive of Metaphysical Artによると、レナート・ペレッティは1954年にヴェネツィアでキリコを訪問し、前作の写真からキリコの「不安にさせるミューズ」を見る機会を得た。ペレッティはキリコに自らを「単なる崇拝者」と紹介したが、この訪問は結果的にペレッティに「(贋作師として)天職」を与えることとなった。続く20年の間に、彼は数々のキリコの贋作を生み出した。

 

In the late 1970s, Peretti was detained as part of a massive investigation into fakes, during which the forger Umberto Lombardi, and several dealers and collectors, were arrested. Hundreds of paintings were confiscated. Peretti died before the conclusion of the trial. Shortly before his death, Peretti produced a list of fakes and likely fakes that he said he had painted himself and which had been included in the volumes of De Chirico’s catalogue raisonné published at the time. These included Piazza d’Italia, 1964 (below), which was offered at Christie’s London in 2007 (est £200,000-£300,000, bought in).

 1970年代後半、ペレッティは、贋作師のウンベルト・ロンバルディや数人のディーラー、コレクターが逮捕された際の大規模な捜査の一環として、拘留された。数百に及ぶ絵画が没収された。 ペレッティは、裁判の終結前に死亡した。 彼の死の直前、ペレッティは自らが描いた偽物および偽物と思われる作品のリストを作成し、それらは当時に出版されたキリコのカタログレゾネにも含まれていた。 これらの中には2007年にクリスティーズ・ロンドンで売りに出された「イタリア広場、1964」(予想価格20万ポンド、落札価格30万ポンド)が含まれていた。

 

The list was first printed in 1979 by the Italian art magazine Bolaffi Arte. In the accompanying article, the journalist Carlo Accorsi (a nom de plume for the magazine’s editor, Umberto Allemandi, later the founding publisher of The Art Newspaper) suggested that fakes had made it into the catalogue raisonné because its editor, Claudio Bruni, had examined these, and others, using photographs and had not seen them in person. Allemandi also revealed that De Chirico’s lawyer, Mr De Luca, had written to Bruni on 21 April 1977 expressing the artist’s concern that numerous forgeries appeared to be in the catalogue. De Luca asked Bruni to suspend the publication of forthcoming volumes of the catalogue. The letter was written after Italian investigators seized numerous paintings that De Chirico said were fakes but which had been included in the catalogue.

 贋作リストは最初、イタリアの美術誌・Bolaffi Arteによって1979年に印刷された。付属の記事の中で、ジャーナリストのカルロ・アコルシ(後のThe Art Newspaperの創刊者・ウンベルト・アルマンディのペンネーム)は、カタログ・レゾネの編纂者であるクラウディオ·ブルーニが実際に直接それらの作品を見ることなく、写真を使用して審査していたがために、カタログ・レゾネに贋作が混入したのではないかと示唆している。アルマンディはまた、キリコの弁護士、デ・ルカが1977年4月、クラウディオ·ブルーニに宛てた書簡の中で、カタログ・レゾネにいくつもの贋作が混入していることに対する懸念を表明していたことを明らかにした。 デ・ルカはブルーニに対して、カタログ・レゾネの新刊の出版を見合わせるよう求めた。キリコ本人が贋作と指摘したカタログ・レゾネ内の多数の絵画をイタリアの捜査員が押収した後にこの手紙は書かれた。

 

At the conclusion of the trial, around 50 paintings were destroyed. But many more were returned to their owners, despite the fact that they were also fake, Baldacci and Roos say. They say this accounts for the numerous forgeries still circulating today.

 The Art Newspaperの代表パオロ・バルダッチと副代表ゲルト・ルース曰く、公判後、およそ50の作品が処分されたが、それ以外の多くの作品は、それがフェイクだということが明らかになったにも関わらず、元の所有者に変換された。彼らによれば、贋作が返還されたことで、今日もなお多くの贋作が市場に出回っている。 クリスティーズのカタログで調べるだけでも、ジョルジオ・デ・キリコ「不安を与えるミューズたち」はこれまでに4作以上は販売されているようです。それぞれ比べてみてください。

 

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